2010年6月29日火曜日

記憶の選択

欧州電子図書館Europeanaは、ヨーロッパ中の文化施設がもつドキュメントに一カ所からアクセスするためのポータルサイトです。サイトのトップページに書かれた紹介文によれば、

This is Europeana - a place for inspiration and ideas. Search through the cultural collections of Europe, connect to other user pathways and share your discoveries.
(こちらはヨーロピアーナ、インスピレーションとアイデアの場所です。ヨーロッパの文化的コレクションを検索したり、他の利用者の利用履歴にアクセスしたり、あるいはあなたの発見を共有してください)


ということです。随分と先進的な雰囲気を醸し出しており、いわゆる「図書館」イメージとは大きく隔たっています。このことは、EuropeanaがEUの<情報政策>の一環であることに由来するのですが。

図書館学の世界では伝統的に「選択理論」という領域があり、何を収集/公開し、何をそうしないのかという議論が展開されています。そして図書館が政治的権力により運営されるものである以上、収集対象の性格が当該権力の性格に左右されることは当然といえます。民主主義的権力においてもこのことは妥当します。もちろん、森羅万象あらゆる文書を収集することは現実的に不可能です。しかしそうした現実的理由からだけでなく、政治が元来記憶の管理を前提としているという理由からも、あるいは逆に「あらゆる記憶の政治は国家の介入を含意」している(デリダ)ことからも、選択の問題は不可避の問題となります。

僕はEuropeanaの研究を思い立った当初、記憶の問題をその中心に据えようと考えていました。ところが、Europeana周辺の文書には記憶の問題や選択の問題が全くといってよいほど登場しません。Europeanaにとっての目下関心事は、著作権問題やユーサビリティの問題であるようです。それでも、EU(あるいはフランス)とアメリカ合衆国の経済的覇権争いは確かに存在し、それが文化領域を巻き込んだものとして展開されていることも確かです。ヨーロッパがヨーロッパとして同一性を獲得することは、つまりヨーロッパが自分自身を選びとることでもあります。ヨーロッパにとって「ヨーロッパの文化的コレクション」とは何なのか。そこが問題です。

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